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聖書と原理講論による神様の心情解説

原理講論の解説 21ページ

総序


 人間は、何人といえども、不幸を退けて幸福を追い求め、それを得ようともがいている。個人のささいな出来事から、歴史を左右する重要な問題に至るまで、すべては結局のところ、等しく、幸福になろうとする生の表現にほかならないのである。21P


原理講論の最初に出てくる文章であり、皆さん良く御存知のところです。私達個人においても幸福になりたいが為に日々、努力をして幸福を勝ち取ろうとしています。しかし、その中でも必ずと言っていいほど幸せは長続きしません。その時に信仰をしているのに何故、この様な事が起こるのかと疑問を持たれると思います。それが普通だと思います。神様もみんなが幸せに暮らして欲しいと願ってあられます。日々の生活の中で車の事故があったり、病気や怪我をしたり、身近な人を亡くしたり、職場を解雇されて経済に困ったり、家庭内で子供のこと、妻のことなど問題を抱えたとき、長く生きていればいるほど、様々な問題が次から次と襲い掛かって来ます。ある人は今まで持っていた信仰を捨てて他に行く人もいます。神様は一貫してみなさんの幸せを願っています。また必ず幸せになれます。不幸が来た時に普通は不平不満、愚痴などが口から出てしまいます。そこからが不幸の始まりでありますので、問題があったときは感謝の気持ちを持つことが重要です。ここで重要なのは外的な様々な問題が問題ではなく、神様が幸せに成れると言っておられるので問題が会った時に、神様に感謝、今の環境、問題に感謝の気持ちを持って欲しいと願っています。それは神様からの試練であり、神様も干渉したくても手を差し伸べることは出来ず、神様自身もその試練を乗り越えて欲しいと祈ることしか出来ません。神様は私達に何を願っておられるのでしょうか。外的な幸福よりも神様と私との心情の関係が深くなったか、神様は親であり、神様から見れば自分は子であります。そこには切っても切れない、親子の愛の心情世界が深まることを神様は願っておられます。