kamisamawa-ainariのブログ

聖書と原理講論による神様の心情解説

原理講論の解説 総序 P21~23

総序  P21~23
それでは、幸福はいかにしたら得られるのであろうか。人間はだれでも、自己の欲望が満たされるとき、幸福を感ずるのである。しかし欲望などといえば、ややもすると我々はその本意を取り違えがちである。というのは、その欲望が概して善よりは悪の方に傾きやすい生活環境の中に、我々は生きているからである。しかしながら、我々をして不義を実らせるような欲望は、決して人間の本心からわき出づるものではない。人間の本心は、このような欲望が自分自身を不幸に陥れるものであるということをよく知っているので、悪に向かおうとする欲望を退け、善を指向する欲望に従って、本心の喜ぶ幸福を得ようと必死の努力を傾けているのである。これこそ正に、死の暗闇を押しのけて、命の光を探し求めながら、つらく、険しい人の道を彷徨する偽らざる人生の姿なのである。いったい、不義なる欲望のままに行動して、本心から喜べるような幸福を味わい得る人間がいるであろうか。このような欲望を満たすたびごとに、人間はだれしも良心の呵責を受け、苦悶するようになるのである。その子供に悪いことを教える父母がいるであろうか。その子弟を不義に導く教師がいるであろうか。だれしも悪を憎み、善を立てようとするのは、万人共通の本心の発露なのである。*******
 とりわけ、このような本心の指向する欲望に従って、善を行なおうと身もだえする努力の生活こそ、ほかならぬ修道者たちの生活である。しかしながら、有史以来、ひたすらにその本心のみに従って生きることのできた人間は一人もいなかった。それゆえ、聖書には「義人はいない、ひとりもいない。悟りのある人はいない、神を求める人はいない」(ロマ三・10、11)と記されているのである。また人間のこのような悲惨な姿に直面したパウロは「わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。わたしは、なんというみじめな人間なのだろう」(ロマ七・22~24)と慨嘆したのであった。ここにおいて、我々は、善の欲望を成就しようとする本心の指向性と、これに反する悪の欲望を達成させようとする邪心の指向性とが、同一の個体の中でそれぞれ相反する目的を指向して、互いに熾烈な闘争を展開するという、人間の矛盾性を発見するのである。存在するものが、いかなるものであっても、それ自体の内部に矛盾性をもつようになれば、破壊されざるを得ない。したがって、このような矛盾性をもつようになった人間は、正に破滅状態に陥っているということができる。ところで、このような人間の矛盾性は、人間が地上に初めて生を享けたときからあったものとは、到底考えられない。なぜかといえば、いかなる存在でも、矛盾性を内包したままでは、生成することさえも不可能だからである。もし人間が、地上に生を享ける以前から、既にこのような矛盾性を内包せざるを得ないような、運命的な存在であったとすれば、生まれるというそのこと自体不可能であったといえよう。したがって、人間がもっているこのような矛盾性は、後天的に生じたものだと見なければなるまい。人間のこのような破滅状態のことを、キリスト教では、堕落と呼ぶのである。


ここでは善のみに生きようとする人間の心の葛藤の世界を描き、苦悩しているのが我々であると説いています。それが私達、人間の姿であります。この矛盾の事を罪と言いますが、この個所は堕落論の罪の所で詳しく書きたいと思います。ここでは創造本然の人間、原罪のない人間、真のお父様に関して書こうと思います。創造本然の人間は原罪がありません。ですので、我々のように心の内にある善悪の葛藤はありません。ただ神様と常に一体であります。しかし、真のお父様は人類の罪悪歴史の中で神様が人類救済の歴史を摂理してこられ、やっとこの地上に神様が送られたメシアであります。原罪のない人間は人類歴史史上2人しかいません。アダムとエバは堕落したのでイエス様と真のお父様しか存在しません。真のお父様が誕生されるまで、多くの人類の犠牲の上にやっと神様がこの地上に送られたのが真のお父様です。真のお父様の路程は困難を極めました。何故ならサタンが居たからであります。真のお父様のメシアとしての使命は神様の心情の解放、人類罪悪歴史の精算、真の母としての教育、霊界の整理と先祖の霊の解放、地上天国の建設、この様に神様からメシヤの使命を全うされる為に来られたのが真のお父様です。堕落人間である私達は御そばに居られる弟子達でさえ、み言葉をすぐには理解出来ませんでした。今は真のお母様が真のお父様と一つとなってみ旨を推し進めておられます。私達、全食口達が真の父母様を支えて邁進して行きましょう。